1.国際的流れの中で
生物多様性条約(Convention on Biological Diversity:CBD)と気候変動枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change : UNFCCC)は、双子の条約といわれている。生物多様性は気候変動の緩和・適応にとって重要な役割を持つ。森林、湿地、海洋の藻場・マングローブなどは炭素吸収(carbon sink)の機能をもち、温室効果ガスの大気濃度上昇を抑制する[1]。気候変動も生物多様性に影響を与えており、気温上昇や海面上昇、酸性化などの気候変動の影響が生息地を変化させ、種の分布、絶滅リスク、生態系の機能を損なう[2]。
そのため両条約の目的達成のための協働がなされている。例として、生物多様性条約では生物多様性の保全・持続可能な利用・遺伝資源の公正な配分を目的とし、その中で気候変動の影響への対応(生態系ベースの適応(ecosystem-based adaptation)等)が条約文書や決定事項で言及されている[3]。気候変動枠組条約では主として温室効果ガスの排出削減が焦点であるが、生態系保全や土地利用変化(Land Use, Land-Use Change and Forestry:LULUCF)などが気候対策の文脈で重要な要素として組み込まれており、生物多様性に関する記述も政策議論に登場する[4]。
このように近年、昆明・モントリオール生物多様性枠組(Kunming‐Montreal Global Biodiversity Framework)やパリ協定(Paris Agreement)のなかで、生物多様性保全策と気候変動対策との間でシナジーを生かす方向性を模索する文献・政策提案が増えている。自然に基づく解決策(nature‐based solutions)や生態系修復により、炭素吸収能力と生態系の多様性を同時に改善できるし、土地管理や森林保全、湿地復元などで、気候変動の緩和・適応策と生物多様性保全が重なる。ただし、耳障りのないことばかりを挙げてもよろしくはない。バイオマスエネルギー用の農地拡大やバイオ燃料作物の栽培が自然生態系を破壊し、生物多様性に悪影響を与える可能性が指摘されている[5]。気候政策が気候緩和を優先するあまり、地域住民の生態系サービスや伝統的生物資源利用の権利を軽視するケースでは、これにより生物多様性を害する事態が生じている[6]。つまりシナジー(相乗効果)もあるが、トレードオフ(代わりに犠牲になる部分)もあるのである。
これらから以下のことが指摘できる。生物多様性劣化も気候変動も自然の循環系における変化であり、その仕組み等は現在解明中のものである。未だ解明されていないことが少なくないが、それでも自然資源の価値をより正確に捉えて、シナジーによるプラス部分や、トレードオフというマイナス部分までも客観的に扱える仕組み、ここでいう「生物多様性の価値取引」が導入されれば、真にまたは総合的に自然資源の保全に資する行動にベクトルが向きやすくなるのではなかろうか。つまり「わからないから自然資源を劣化させてもその代償を払わない」という中途半端な自然賛美ではなく、「代償を払えば自然資源を開発できる」という経済効率だけを根拠にした割り切りでもなく、「自然の価値や機能のゲインやロスに責任を持つ」ということである。
この手法により、前述のように気候政策が気候緩和を優先するあまり、地域住民の生態系サービスや伝統的生物資源利用の権利を軽視するケース(身近な例として、「森林開発して再エネ発電施設を設置することの正当性への疑問」)に対して、何らかの示唆を与えることが可能かもしれない。そのためにも、科学との協調が必須であり、自然の機能の合理的な数値化と、各種手法の有効性の明確化がより求められている。以下では、こうした考えのもとに、各国と日本の現況を把握して、若干の検討を加えたい。
2.日本での自然資源の捉えられ方
自然資源の価値を示す指標には、以下のようなものがある。1つ目に、生態系サービスという「供給サービス、調整サービス、文化的サービス、基盤サービス」[7]があり、いわゆる脱炭素クレジットで注目される吸収源機能(炭素固定機能)は、調整サービスのなかの炭素固定にあたる。2つ目に、自然資源の公益的機能の評価額等がある[8]。例として日本学術会議が示した森林の公益的機能の評価額があり、「水源かん養機能、土砂流出防止機能、土砂崩壊防止機能、保健休養機能、野生鳥獣保護機能、大気保全機能」で年間合計74兆9,900億円との試算がある。ここでは森林の吸収源機能は、大気保全機能に含まれ、年間1兆2,400億円である。3つ目に、森林・林業基本法(昭和39年法律第161号)は、森林の有する「多面的機能」すなわち「その有する国土の保全、水源のかん養、自然環境の保全、公衆の保健、地球温暖化の防止、林産物の供給等の多面にわたる機能」が注目されており、持続的に発揮されることが国民生活および国民経済の安定に欠くことのできないものであることにかんがみ、将来にわたってその適正な整備および保全が図られなければならない(2条)、と規定している。
加えて、カーボンニュートラルに向けての森林に対する期待は高まっている。これに関連する「クレジット」は大きく分けて(A)国際制度(例:気候変動枠組条約の下で構築されたREDD+:減少・森林劣化対策)[9]、(B)ボランタリーカーボン市場の森林プロジェクト(森林保全・再植林・森林管理)、(C)国内クレジット制度(国ごとの認証スキーム:例 J-Credit)に分類できる[10]。これらは共通して「ベースライン算定→実施→モニタリング→検証→クレジットの発行→移転/償却」というワークフローを持つが、ベースライン設定やモニタリング手法、クレジットの使途(コンプライアンス(強制市場) vs ボランタリー(自主的市場))等で差異がある。
第7次エネルギー基本計画およびGX2040ビジョンと一体に2025(令和7)年2月に閣議決定された最新の地球温暖化対策計画では、森林等の吸収源対策による2030年度見込み吸収量を約 3,800万 t-CO₂程度とし、それに加えてブルーカーボン等の新しい吸収源の拡大も言及されている[11]。最新の見込みでは、2035年度・2040年度の吸収源(森林等)対策による吸収見込量は、森林吸収源対策だけでも 7,200 万〜8,000 万 t-CO₂ 程度といった大きな数値が掲げられている[12]。
日本が2013年に始めたJ-クレジット制度も、(C)国内クレジット制度の一つである。従前から存在した「国内クレジット制度」(2008年〜)と「オフセット・クレジット(J-VER)制度」(2008年〜)を統合して新設された。ただし特定の根拠法に基づく制度ではなく、政府主導の認証制度で、排出削減量や森林吸収量を「クレジット」として発行し、排出削減努力の評価・取引に活用する仕組みである[13][14]。対象となる取組は、省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーの利用、森林経営や森林整備による吸収量の増加等である。クレジットの認証は、取組による削減量や吸収量を第三者委員会で審査・認証しており、「1トンのCO₂削減・吸収 = 1クレジット」として発行される。活用方法は企業のカーボン・オフセットや、CSRやESG投資への活用であるが、一部は温暖化対策推進法(平成10年法律第117号)やいわゆる再エネ特措法(平成23年法律第108号。正式名称:再生可能エネルギー電気の利用の促進に関する特別措置法)の制度運用上も利用可能である。
3.用語の整理:ミティゲーション、オフセット、バンキング、クレジットについて
クレジットという用語が出てきた。こうした価値取引にはいくつかの用語を踏まえる必要があるため、以下に簡単に説明する。
まず、「ミティゲーション(Mitigation)」は、直訳すると「緩和」を意味する。環境への悪影響を避ける・小さくするための幅広い取り組み全般を指している。手順としては「回避 → 最小化(低減・削減)→ 代償・補償(オフセット)」の階層構造(ミティゲーション・ヒエラルキー)で実践されるべきものである[15]。このように「オフセット(Offset)」はミティゲーションの一部である。排出や環境破壊など、自らの活動による負の影響を、他の場所での環境改善で埋め合わせることを意味しており、例として、工場でCO₂を排出した場合にその分、森林を守るクレジットを購入して「相殺」する場合がある。また、例えば、イベントなどで排出されるCO₂はクレジット購入という代償によりオフセットされているという開催企業による広告を見かけることがある。どうしても減らせないマイナスを、別のプラスで相殺する仕組みと理解できる。
あらためて、ここで重要になるのはミティゲーション・ヒエラルキーという発想である。「どうしても減らせないマイナス」を対象として代償するのであり、「代償を払えば自然資源を開発できる」という発想に基づくものではないことは肝に銘じる必要があるし、それが安易に選択されないような仕組みを構築しておく必要がある[16]。
では、その代償はどのように実施されるのかに関わるのが「クレジット(Credit)」になる。まず、クレジットが取引されるのが「バンキング(Banking)」という仕組みである。これは、環境改善によって得られたクレジットを有する者が、バンクという「銀行口座のように蓄えておき、必要なときに引き出したり、他者に売ったりできる機構」をそれぞれ立ち上げ、クレジットを取引する仕組みである。特に米国のミティゲーション・バンクやカーボンクレジット・バンクが有名である。例として、企業Aが湿地を再生してクレジットを作る → 登録して「バンク」に保管 → 企業Bが開発で湿地を壊すとき、そのクレジットを購入してオフセットすることになる。そのため、環境価値の「口座管理・取引市場」というイメージである。ここからもわかるように、バンクを立ち上げるのは、クレジット保有者(多くは地主など)である。これを承認し監督するのが政府である。
クレジットは、取引されるものの単位(環境価値をポイント化した商品)である。温室効果ガス削減や生物多様性保全などによって生まれた「環境価値」を、取引可能な単位に換算したものである。例として、「1カーボンクレジット = 1トンのCO₂削減」「1バイオダイバーシティクレジット = 生息地1ヘクタールの保全」等という換算式が示される。
4.各国の動き:英国のネットゲインと米国のノー・ネットロス
(1)イギリスがけん引するBNG
他の先進国の動きを概括しておきたい。2022年12月に採択された昆明・モントリオール生物多様性枠組以降、ネイチャーポジティブ(自然再興)が一つの潮流になっている。これは、ネットロス制御やノーネットロス(No Net Loss: NNL)という、自然の消失や劣化に対してブレーキをかけたり防止したりするのみではなく、ネットゲイン(再興)すなわち反転して増加を求めるものである[17]。
国際的には、イギリスが生物多様性ネットゲイン(Biodiversity Net Gain : BNG)を打ち出しており、世界をけん引していくと思われる。イギリスでは、 環境法(Environment Act 2021) により、イングランドにおいてBNGが法的に義務化された。開発プロジェクトによって自然環境に影響を与える場合には、開発前の生物多様性の状態よりも少なくとも10%改善(ネットでの「純増」)することを義務づけている[18][19]。2024年1月以降、大規模開発に適用開始され、2024年4月以降は小規模開発にも段階的に適用されている[20]。
生物多様性保全の手法については、国際生物多様性クレジット諮問委員会(IAPB)報告書(53頁)も、「生物多様性クレジットのライフサイクルは、測定の難しさ、運用上の障害、そしてクレジットが特定の生態系に結びついており、カーボンクレジットのように代替可能ではないといった要因により、複雑になる可能性がある」と指摘している[21]。
しかし、生物多様性クレジット制度は各国で多様なスタイルで発展しており、制度設計・市場形成・評価手法における蓄積がある[22]。米国ではすでにNNLに基づくミティゲーション(回避・低減(最小化)・代償(代替・補償:オフセット))制度が稼働しており、プラットフォームにおける市場取引がなされているので、以下に紹介したい。
(2)米国では
米国では、保全バンキング制度があり、日本で著名なのは、水質浄化法(Clean Water Act;:CWA)404条による、湿地保全ミティゲーション制度である。水質浄化法404条は、米国の「waters of the United States(WOTUS)」にあたる水域(川、湖、湿地など)に対して、浚渫土砂や埋立材を投入する行為を規制することを目的としており、水質保全だけでなく、湿地や生態系の保護もその射程である。主務官庁は、米陸軍工兵隊(United States Army Corps of Engineers: USACE)であるが、環境保護庁(Environment Protection Agency:EPA)が基準設定を行い拒否権(veto authority, §404(c))を持つ。EPAの省庁間審査チーム(Interagency Review Team)による厳格なモニタリングもある。
前述のミティゲーション・ヒエラルキーに則り、「回避 → 最小化(低減・削減)→ 代償・補償(オフセット)」の代償が求められるケースでは、2008年補償的ミティゲーションルール(2008 Compensatory Mitigation Rule:2008年陸軍工兵隊・EPA合同規則)[23] により、①Mitigation Bank(ミティゲーション・バンク)、②In-lieu Fee Program(インリュープログラム:ILF)[24]、または③Permittee-Responsible Mitigation(許可取得者自身による補償)の三方式から選択することが制度的に整備された。
また、米国種の保存法(Endangered Species Act:ESA)に基づく種保全ミティゲーション制度もある。ESAでは、連邦機関が開発や建設などで絶滅危惧種の生息地に影響を与える場合、その影響を最小化・補償する義務がある(ESA7条)。連邦機関以外が開発する場合、開発者は開発によって絶滅危惧種が「偶発的に捕獲・殺傷(incidental take)」される場合、事業に伴う捕獲許可(Incidental Take Permit:ITP)を取得する必要がある。このITP取得の条件として、影響を回避・低減(最小化)・代償する計画(Habitat Conservation Plan:HCP)を提出する義務も、影響を代償するために必要な費用(mitigation funding)を支払う必要もある(ESA10条)。
開発現場の影響を現地で代償できない場合には、ESAに基づく義務を果たすための市場型制度の一つである保全バンキング制度(Conservation Banking)において、開発者は、自らの開発で生じる影響を「クレジット」として購入することで補償するのが基本スキームである。ただし、開発現場外(offsite)での保全活動によって代償されることがある。例えば、同じ種の生息地を保護するために土地を購入したり、復元したりすることが該当する。さらに、米国魚類野生生物局(United States Fish and Wildlife Service:FWS)は、実際に必要な額を算定し、最大限の実効性が得られるように指導する。

米国では、湿地保全ミティゲーションルールにおける①ミティゲーションバンク、②インリュープログラム、および種保全ミティゲーションにおけるクレジット購入のために、RIBITS(Regulatory In-lieu Fee and Bank Information Tracking System)[25]というプラットフォームが形成されている。これにより、ウェットランド・バンキングや種保全バンキングなど、第三者による補償プロジェクト(mitigation banking)に関する情報が広く公開・可視化され、スマートな取引に資する市場が形成されている。また、環境NGO等から、ESAに基づくミティゲーションの妥当性・実効性を問う訴訟も提起されているため、その精度は高まっている。
5.日本への示唆
国際社会においても、日本においても、自然資源の価値や機能は大切なもので、それをおろそかにしてはならないという一定の合意があることが確認できる。もはや政府、企業、市民のいずれも、この部分に異論を唱える者はない。そのうえで、各国がどのような施策をとっているかにはいくばくか差異があった。以上を踏まえて、日本への示唆を3点ほど示しておきたい。
1点目に、日本においては、ミティゲーションは、環境影響評価法(平成9年法律第81号)に基づき、「その事業に係る環境の保全について適正な配慮がなされること」が確保されているものの、いわゆる代償(オフセット)が法的に義務付けられているわけではない。例えば、諫早湾干拓地潮受堤防開門請求訴訟でも、オフセット的措置として、国は「調整池内の水質」、「海域の潮位・潮流及び海域水質」、「水生生物」、「鳥類」「干潟の保全」の7項目について、今後の環境保全対策を提案するにとどまり[26]、開門を命じた2010年の福岡高裁判決(平成22年12月6日判時2102号55頁)が確定した後は、国は基金などでの和解の道を探った[27]。また、関西国際空港建設Ⅱ期においては、実質的な代替措置としての人工干潟・藻場造成がなされた[28]。2022年3月のモニタリングによれば、空港島周辺の藻場面積は54haに達し、大阪湾全体の藻場面積の約2割を占めているし[29]、空港で採取された海藻を、阪南市の海域へ移植する取り組み[30]など、地域連携による藻場再生の試みが進められている。
このように、日本国内において、実際上、オフセットは実施されているし一定の成果を収めているが、これらは法律で義務付けされているものではない。生物多様性国家戦略2023-2030においては、「生態系の健全性の回復」「生物多様性を保全・回復」というように「回復」という文言は各所に使われているが、「回避・低減、代償措置等の適切な環境保全措置」(78頁)というフレーズは、国土交通省によるダム整備等の環境配慮の1箇所のみである[31]。環境影響評価法(平成9年法律第81号)においてもオフセット義務は規定されていないし、「どの程度のオフセットが妥当か」に科学的・定量的基準が制度的に定義されていない。こうした背景もあり、生物多様性のオフセットは、限定的にしか訴訟の俎上にはのぼらない。これではオフセットの実効性について評価しようにも、「義務付けられてないことをボランタリーに実施している」と好意的に捉えることしかできず、定量的・定性的評価には程遠いのが実態である。
一方、いわゆる生物多様性増進活動促進法(令和6年法律第18号。正式名称:地域における生物の多様性の増進のための活動の促進等に関する法律)が2025年4月1日に施行された。開発により減じる生物多様性への対処はおざなりであるが、生物多様性の増進のための活動は積極的に促されている。もちろん増進のための活動も重要であるものの、目指すべきネイチャーポジティブ(自然再興)は、開発により減じる生物多様性への対処をまずは重視しているのではなかろうか。また、増進活動も、開発者への行動変容の意識付けや義務付けから始めることがスムーズな導入につながるとも考えられる。まずは早期の生物多様性ミティゲーションの仕組みを構築すべきと考える。
2点目に、冒頭部分で、オフセットとは、「代償を払えば自然資源を開発できる」という経済効率だけを根拠にした割り切りを意図するものではないと示した。代償を払えば開発可能という発想はよろしくないとしつつ、代償すら支払わないのでは、自然資源をおろそかにしており、問題外といえそうである。
ここで具体的問題を検討してみる。例えば「森林を開発して太陽光発電施設を作ってそれで脱炭素といえるのですか」と尋ねられることがある。つまり、森林を開発した場所での太陽光発電と、そうでないところの太陽光発電では、前者は森林開発したにもかかわらず、その後の運営に両者に差異が表れない。これを不平等と捉えるのであれば、森林を開発した分の代償(オフセット)を森林開発分の脱炭素クレジットの購入という形で義務付けして、そのうえで太陽光施設発電により脱炭素クレジットを市場に提供できるというようにしてはいかがだろうか。森林破壊の代償を払わないまま、脱炭素に貢献する事業をしているというから批判を受けるのである。すなわち、その施設建設の脱炭素に係るマイナス分と施設運営のプラス分を、より正確に客観的に示しオフセットすることで、社会への貢献分を示すのである。このように、自然資源の変化に応じた責任を、適切なクレジットによる代償や提供という形で社会に還元する義務を負う仕組みにしていけば、森林を開発してまで新規導入するのではなく、開発コストがかからない場所での導入・再導入が促進されるであろうし、まして、森林開発までして新規導入されることも減ってくると思われる。
炭素吸収能力と生態系の多様性保全をシナジー効果により同時に改善していくことが、脱炭素という目的の一つの解法であるとすれば、そのトレードオフ部分も明確に示すこと、すなわち、森林を開発したところでの太陽光発電と、そうでないところの太陽光発電の差異を明確にするのも一つの手法ではなかろうか。そうすれば、太陽光発電施設の運用終了後に、太陽光発電を再導入するかそれとも生態系再興に向かうかという選択肢においても、脱炭素クレジットと生物多様性クレジットの比較で決定する(クレジットの価値は社会的ニーズで決定されると想定している。社会が求めるものに付随するクレジットの価値を高めておくことになる。)という、ある意味で公益に対しての貢献度が、クレジットの価値を介して事業者や土地所有者へのインセンティブになるともいえる。
ただし、今後の開発に対してこうした措置を講じることには慎重な向きもあろう。なぜならば、多くの開発予定者の不満は、「先に開発した人たちがやりたい放題してきたから新たな開発には規制が厳しくなっている。先に開発した人が得をしていて、我々はこれから開発するだけである」「先に開発した人たちのために我々だけが自然環境保全の責任を課されるのには納得がいかない」、というものである。こうした不満に対しては、たしかに衡平性への疑念は否定できないが、それこそがこの時代の要請であり、現在求められているESG投資・ESG経営の希求するところである。あわせて、適切な情報公開や透明性のある経営等により、責任を果たしている事業者への社会からの恩恵や賞賛も確保されるべきであろう。
3点目に、日本の自然資源には、手入れの行き届かない人工林や草原、耕作放棄地問題という人の「不作為(アンダーユース)」問題がある。筆者は、土地所有者にはその土地の保全義務があり、土地所有者の不作為により、「環境の保全上の支障」が生じている場合には、何らかの規制が必要であると考える[32]。つまり、環境基本法(平成5年法律第91号)2条の①「人の活動により」つまり放置という人為的な原因に基づき、②「環境に加えられる影響であって」つまり保全活動をやめることや、手入れをおろそかにすることによって、環境に新たな影響が加わるため、「環境の保全上の支障」といえると考えている。とすれば、「不作為」による環境劣化も開発による自然資源の喪失と同様と捉えることができ、「不作為」の責任を代償義務として課すことも可能となるのではなかろうか。折しも、土地基本法(平成元年法律第84号)が2020(令和2)年に改正され、土地についての公共の福祉が優先され(2条)、土地の適正な「利用」に加えて 「管理」を目的に追加した(1条)。「土地所有者等」の責務(1条)も明記された。
「日本では開発問題は減っているから環境問題は減ってきた」「森林開発の阻止よりも、よりよい森林経営をめざせばよいという点では幸いである」という声もある。しかし、筆者が、開発による自然の消失問題よりも不作為(アンダーユース)問題を、より深刻にとらえる理由は、土地所有者の関心すら喚起しない存在になっているからである。今一度、自然資源の価値や機能を検討し、それらを減じる行為に対しての警鐘を鳴らすとともに、作為・不作為という人為をスマートに誘導または一定の規制をする仕組みや仕掛けを講じていく必要があろう。
参考文献
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