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金融機関による生物多様性指標の活用についての考察

ネイチャーポジティブ・ファイナンス

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自然関連のファイナンスとそのリスク管理を実装する際、GHG(温室効果ガス)排出量の目標を設定する気候変動対策のアプローチになぞらえて、自然資本の分野でも生物多様性指標を同様の管理指標として実務に適用できるか、という論点があります。 本稿では、自然資本との接点の性質に基づいて産業を分類し、それぞれの財務的側面において生物多様性指標が持つ意味の違いを明らかにします。その上で、その特性を踏まえて投資家がどのように生物多様性指標を活用すべきかについて考察します。

生態系への依存特性による産業分類とリスク顕在化の経路

自然資本を生物資源と非生物資源に大別すると、産業もまた、生物資源を利用する産業(農林水産・食品等)、非生物資源を利用する産業(鉱業・発電等)、およびそれらにサプライチェーンを通じて依存する産業に分類できます。 金融機関の投融資において、判断の第一義的な基準となるのは財務マテリアリティ(財務リスク)です。環境マテリアリティ(環境への影響)は、規制や評判を通じた移行リスク、あるいは環境変化による物理リスクを経由して、中長期的に財務マテリアリティへと転化します。 この財務マテリアリティへの転化プロセスは、上記の産業分類によって以下のように異なります。

  • 生物資源系産業(農林水産・食品等)
     この産業においては、事業活動が自然資本へ与える圧力や影響(例:モノカルチャーによる土壌劣化、土地改変による生物多様性喪失など)が、自身の生産基盤の毀損(例:収量低下、病害発生)に直結します。すなわち、環境への悪影響がそのまま物理リスクとして跳ね返ってくるため、事業の持続的成長のために自ら自然資本に配慮した行動をとる経済合理的な動機が存在します。
  • 非生物資源系産業(鉱業・化石燃料等) 
    一方、非生物資源を利用する産業においては、GHG排出や自然改変といった環境への圧力・影響は、短期的・物理的には生産性に直接的な悪影響を及ぼしません。したがって、この産業に自然資本へ配慮した行動を促すには、社会的責任の観点からの圧力や規制が必要となります。ここでは、環境マテリアリティが主に移行リスクを通じて財務マテリアリティ化します。つまり、制度や枠組みの強さが企業の動機づけを左右します。
  • サプライチェーン依存型産業 
    自然資本との直接的な接点が少ない産業であっても、原材料調達を通じて上記のリスクにさらされています。この場合、ビジネスの持続可能性を確保するためには、サプライチェーン全体のリスクを管理・抑制する行動が求められ、財務マテリアリティは調達網を通じて顕在化します。

産業分類から見る生物多様性指標の意味

気候変動の文脈において、GHG排出量は環境マテリアリティを定量評価する優れた指標です。さらに、自然資本への圧力としての排出量を計測し、その上限を設定することで、移行リスクとしての財務マテリアリティに転化させることが可能でした。 しかし、自然資本全体で見れば、GHG排出は多様な圧力の一つに過ぎません。排出削減のみを優先した結果、森林破壊を伴う鉱物採掘が行われるなど、自然資本全体として最適ではない結果(トレードオフ)を招くこともあります。 これに対し、MSA(平均種豊富度)、PDF(種消失予測割合)、BIM(生物多様性影響指標)など金融機関や一部の事業会社で開示されている生物多様性指標の合算値は、自然資本の「状態」や「損失」を総合的に表すものであり、自然資本への影響の包括的な評価とみなすことができます。 ただし、生物多様性損失の影響として生態系サービスがどの程度劣化するか(気候変動の文脈ではGHG排出量と気温上昇の関係)については、損失の発生している生息地の種類と状態(熱帯林なのか寒帯林なのか、すでに開発されているのか原生林なのか)、何の種が損なわれているのか(希少種なのか有用種なのか)、などの条件によって異なり、つまり、いつどこでどのように生物多様性が損なわれているのかによって同じ損失量でも影響の大きさが異なることに注意が必要です。 前述の産業分類に沿うと、生物多様性指標は以下のような意味を持ちます。

  • 生物資源系産業に対して 
    GHGの場合とは異なり、自身の活動による自然資本の棄損が事業継続を脅かすことから、物理リスクのエクスポージャー(リスクにさらされている度合い)を示す指標として重要になります。生物多様性の損失は物理リスクの主要因となり得るからです。ただし、物理リスクは生物多様性だけでなく、気候、土壌、水といった生態系サービスを支える環境全体の要因に依存するため、単一の生物多様性指標だけで財務リスクの全てを説明できるわけではない点に留意が必要です。
  • 非生物資源系産業に対して 
    GHG排出量と同様に、規制強化や評判悪化によって顕在化する損失の可能性を示す移行リスクのエクスポージャーの指標として活用可能です。
  • サプライチェーン依存型産業に対して 
    自社拠点での影響に加え、サプライチェーン上流にある「生物資源系の物理リスク指標」と「非生物資源系の移行リスク指標」としての生物多様性指標を加重合計することが考えられます。しかし、性質の異なるリスク・エクスポージャーを単純合算して財務リスク評価として意味のある数値にするためには、重み付けなどの工夫が必要となります。

投資家による生物多様性指標の活用シナリオ

産業分類と財務マテリアリティの発生経路を踏まえ、投資家が生物多様性指標をどのように活用できるか、2つのシナリオを考察します。

環境マテリアリティの観点:社会的責任とスクリーニング 
「ファイナンスト・エミッション(投融資を通じた排出量)」の管理と同様に、投資対象がもたらす自然資本の損失量(ベースラインからの乖離)を環境マテリアリティとして計測し、ポートフォリオ全体で集計したり比較したりする方法です。 この観点での指標利用は、銘柄選定や審査における「フィルタリング(ネガティブスクリーニング等)」の条件として機能します。これは、財務マテリアリティに基づく投資判断に対し、社会的責任やコンプライアンスの要素を「制約条件」として加える補助的な役割と言えます。 この際、重要なのは「合算の主観性」です。生態系の状態や価値は、拠点、生息地、バイオームによって異なるため、これらを比較・合算する行為には、「どの生態系とどの生態系を等価とみなすか」という高度に主観的な判断が伴うことを十分に理解する必要があります。

財務マテリアリティの観点:投資リスクの定量評価 
財務リスクの観点から見れば、生物多様性指標は物理リスクおよび移行リスクの「エクスポージャー(潜在的なリスクの大きさ)」を表しています。 しかし、実際の財務的損失(企業価値への影響)を算出するには、もう一段階の変換が必要です。例えば、物理リスクであれば「その損失が将来の生産量減少にどう響くか」、移行リスクであれば「規制対応にどの程度の設備投資が必要になるか」といった、個別企業ごとの係数をかけて推計する必要があります。 特に生物資源系産業については、原材料の生産の中長期予測という生態系サービスの推定値が財務モデルの中核的なインプットであり、自然資本の状態の指標である生物多様性指標を経由せずに業績影響を推定する方が、効率的である可能性があります。

まとめ

事業会社においても金融機関においても、基本的には財務リスク(財務マテリアリティ)を起点に自然資本の問題を捉えることが合理的です。 その文脈において、生物多様性指標が直接的に有用となるのは、主に「環境マテリアリティ」の視点を導入する局面です。具体的には、非生物資源系産業に対して社会的責任に配慮した行動を促すための投資戦略(エンゲージメントやスクリーニング)において威力を発揮します。 一方で、生物資源系産業に対しては、自然資本と生物多様性の保全がそのまま財務的安定につながるため、単一の指標による管理以上に、生態系サービスへの依存度に基づいた詳細な「物理リスク分析」が重要となります。 また、環境マテリアリティの観点で生物多様性指標をポートフォリオ管理に用いる場合、異なる生態系への影響を比較・合算することになります。これは、運用方針において「生態系間の等価性」の基準を設定することと同義であり、クレジットやオフセットの制度設計と同様に、金融機関としての主観的な価値判断(ポリシー)が問われる高度な意思決定であることを認識すべきでしょう。

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